この世に生まれたのは奇跡。
人生はすべて、自分が創っていく。
奇跡を起こせるのは自分以外にいない。
願い、自らを律し、努力を重ね、得られた結果。
これを奇跡という。
これまでの全てに不正解とかムダはない。
全ての選択は、何かの学びを得る為に必要だった。
この人生は、自分にしか歩めない人生。
この学びは、いま自分が求めていた学び。
それこそが個性。
(自分はダメ・・・)などと卑下することはない。
自分にしかない『何か』が今も育まれ続けている。
自分の素晴らしさは、自分を大切に思ってくれている人がよく知っている。
パートナー、両親、子ども、親友、師と仰ぐ人。
自分をよくみて、考えをよく聴いてくれた人たち。
その人たちとの関係を大切に。
自分のいいところは何か、聞いてみよう。
きっと快く教えてくれる。
その大切な人たちとの関係性において、ひとつ気をつけなければならない。
よくお互いを知っているが故に、お互いに観えている『素晴らしい点』は『あたりまえ』となってしまいがちなこと。
『あたりまえ』になると『感謝』を忘れる。
その『感謝』の気持ちは往々にして、別れや死を迎えた時に思い出される。
愛されていたこと、愛せる人がいたこと、励まされたこと、助けられたこと、同じ時間を一緒に過ごせたこと。
何一つ、あたりまえのことはない。
「生まれる」というのは、宝くじの一等が250万回、当たり続けるほどの奇跡。
そして、その大切な人と出逢えたのは、その宝くじが250万回あたり続ける奇跡が、さらに70億回も起きて生まれたひとりひとりの中の、ひとりと出逢えた、ということ。
奇跡という言葉さえ相応しくないほどの奇跡を人は「運命」と呼んでいる。
『ありがとう』
その一言を、大切な人に伝えよう。
それはおそらくこの世の中で、最高の奇跡。
もし毎日、心から『ありがとう』と思えるならもう充分な幸せがある。
京セラの創業者、稲森和夫氏の言葉。
『どんな極悪非道な人であれ、この世に命を受けて存在しているというだけで等しく意義ある存在なのです。』
悪があるから、正義があるように、この世のすべてが、プラスとマイナスというエネルギーでバランスを保っている。
それは宇宙の存在を考えた時に、原理原則ともいえる。
命の連鎖を見た時、バクテリアが植物の成長を助け、植物に昆虫が群がり、草食動物が、植物や昆虫を食べ、肉食動物が、草食動物を食べ、それらを人間が食べて生きている。
ここには悪、正義、という観念はない。
何かと何かの存在が支えあい、循環しているシンプルな事実しかない。
何が悪い、何が良い、ということは、人にとって、都合の良い解釈にすぎない。
宇宙の仕組み、大自然の摂理、生命が循環している中で、恐らく唯一、人だけに創造する力がある。
人類は、地球を壊すことも、あらゆる生命と共存することも選択できる存在。
あらゆる教えに『利他の心』がある。
人類は創造力を持つが故に、我が事を優先し続けると、人類はおろか、地球さえ壊しかねない。
それを古くから戒めるために、伝えられてきた。
利己を選択し続ける世の中は、争いは絶えず、奪いあい、殺しあいの中に生きる。
利他を重んじる世の中は、譲りあい、分かちあい、慈しみあいの中に生きる。
同じ(あい)だが、どちらを選択するのかは1人1人に委ねられている。
それが大切だ、ということを本当は誰もが知っている。
だから、いつも心に問いかけることが大切。
自分はなにがしたいのかを。