『生きる力』は30年後のニーズ

 

 

 

 

前略 お盆が過ぎ、いよいよ夏も終盤。

いかがお過ごしでしょうか。

 

早速ですが一番、育んでほしいと願うのは「生きる力」です。

 

「生きる力」とは、ほんとうに大切にしたいことを大切にし、自らの価値を高め経済力を得て、心の底から望んでいることを手に入れたり、行うことを選択する余裕を創りだす力と、と定義しています。

 

30年後のニーズと題しましたが、その時には絶対必需品の如く、その力が必要になっていると断言します。

実態を見れば、今でも必要であることには変わりないのですが、まだその危機感は人によって様々です。

 

その気になれば、誰もがもつことができるはずですが、現実は、なかなかそうもいきません。 

仕事を優先し、家族を大切にできない。

家族を優先し、仕事が大切にできない。

他にも、友人との時間、趣味にあてる時間、学ぶ時間など日々、何かを捨て、何かを選ばなくてはなりません。

 

本当はこうしたい、という理想はすべての人にあるのではないかと思います。

しかし日々の中で、それにフタをし見えないようにすることでしか、日々を耐えられずいつかその理想さえ忘れてしまったりもします。

昨今、理想、夢、目標を素直に抱きづらい世の中になったようです。

それは若者に顕著にみられます。

日本ではひと時、いじめや不登校、校内暴力、落ちこぼれといった高度経済成長期の競争社会のままの教育への問題提起から生きる力を得ることを目的のひとつとした「ゆとり教育」がなされました。

相対評価でなく、絶対評価。

順位をつけない、顕著な例では運動会みんな仲良くゴールインしたり、中には先生がどのような基準で評価するかわからず、先生に媚びる生徒が出てきたりやりたいことだけやればいい、という教育もあったとか。

社会性を身につけさせようということだったようですが、そのような教育を受けた子たちが、いざ社会に出ようとした時、就職戦線は悲惨なものだったろうと思います。

1988年~2000年生まれの子たちは(年齢でいうと2014年現在17~26才)特に影響が顕著なのではないかと危惧します。

 

一方、理想を実現する、ということについて歴史を振り返ってみます。

幹線道路にはひっきりなしに車が走り、空を見あげれば飛行機が飛んでいて、蛇口をひねれば、飲める水が出てきて、地球の真反対にいる人とリアルタイムに会話ができる。

1200年ほど前、万葉集の時代は、会いたくても会えない、伝えたくても伝えられない、和歌をしたため、何日もかけて使いの者に持っていかせました。

自動車は1763年、飛行機は1903年、水道は室町時代1300年代中盤以降、携帯電話の基本技術、無線通信は1872年に開発。 

科学技術はここ200年で急速に進化しました。

人類発祥から20万年といわれる内のたった0.1%の年月の間に。

これは誰かが抱いた理想を現実にした結果です。

 

戦後の高度経済成長期においてはただ一生懸命に働くということで経済力を得ることができました。

一方、高度な文明は、地球環境を蝕み大量殺戮兵器も生み出しました。

果てには、命さえ生み出すことができるとまでいわれています。

しかしその文明は、自然災害によっていとも簡単に失われもします。

人の英知は、天地自然には敵いません。

文明はすべて 「人」 が生み出したもの。

良くも悪くも 「人」 は欲しいと思うものを生み出してきました。

文明の発展や、国際化が進むにつれ、世の中には様々な価値観が生れました。

社会には様々なルールや仕組みが創られていきます。

ざっくりいえば、国家には、司法・行政・経済・外交、会社には、商品・物流・営業・事務、個人には、戸籍に基づく義務・権利、義務教育、なんとか手当と。

ルールや基本的な権利、義務はあっても「生きる力」は誰も教えてくれません。

さらに今は高度経済成長期とは違い、ただ一生懸命に働くだけで、経済的な安定を得ることは難しくなってきました。

生産競争には後進諸国も含まれいよいよ激しく2030年頃、日本の労働力は後進国の外国人労働者にとって代わられると言われます。

その時、どのように生活の糧を得たら良いのでしょう。

既に、製造業を筆頭にスーパー、コンビニ、飲食店などで外国人労働者はあたり前です。

これがさらに拡がっていきます。

競争に敗れれば、負け。

企業が競争に負ければ、吸収合併、精算、解雇。

多くの人は、リストラ、路頭に迷う未来が予見されます。

その時になってからでは、もう間に合いません。

失業手当、年金、その制度が存続しているかも保障されていません。

 

不安を煽るのは本意ではありませんが現実は見つめなければなりません。

その時の労働環境はまったく予想がつきません。

ただいえるのは、少子高齢化によってさらに 税金は高くなり、年金は先細っていきます。

そして就職はおろか、アルバイトやパートさえまともにつくことが難しいかもしれません。

しかし、人はひとりでその人生を生き抜かなくてはなりません。

親はいつまでも生きていられません。

人材を守る余力のある会社はごくわずかとなっていきます。

ちなみに平成26年、日本の全就業者数は6613万人。

(総務省統計局、経済産業省中小企業局より)

内訳は大体下記のとおりです。

公務員 4% 278万人

経営者 12% 758万人

従業員 84% 5577万人

100人の内、4人は公務員、12人は経営者たちで、彼らは社会的にも、経済的にも今は、安定しています。

あとの84人は、リストラの不安、評価を得るための日々、趣味や友人、家族との時間を割きながら葛藤と闘う日々、といった具合で安定しません。

つまりほとんどの人は「生きる力」を身につけなければならないし、教えることができるようになっていなければなりません。

いつ会社が潰れようが、本業がだめになろうが自分自信で経済力をもつことのできるビジネスの仕組みやノウハウ、健康な体、健全な精神、切磋琢磨し、励ましあい、高めあう人間関係、

自らを高め学び自由に選択をする「生きる力」。

ひとりひとり生まれ育った環境、価値観、才能、すべて違います。

誰ひとりとして まったく同じ、という人はいません。

逆にいえば、その人にしかない役割りがあるともいえます。

それが個性です。

その人だけが歩んできた人生があってその人だけの中に光輝くものが必ずあります。

ゆとり教育はネガティブな点ばかりが指摘されますが、きっとその世代にしか育まれていない何かがあるはずです。

自分の中に光輝くもの(Voice)に気づき、「生きる力」に引き上げ、育むにはどうしたら良いのか?

この問いへの答えを導き、真の意味での「自立」を実践的にサポートし「生きる力」を身につけ実現していきます。

 

 早々