夜明け前が一番暗い

 

 

 

 

前略 お盆の14日は、ゆったりと過しています。

 

7月末にやってしまった筋肉断裂も、だいぶよくなってきました。

 

そろそろ松葉杖を外せそうです。

 

しかしこの筋肉断裂は、Aterraの準備をする時間と人のやさしさを思い出す時間を創りました。

 

感謝、合掌。

 

 

訪れた試練を振り返っていました。

試練とは自立に向けた訓練、常に乗り越えられるかどうかぎりぎりのラインでやってきます。

 

孤独という、試練

 

試練を乗り越えていく過程で、ひとりになることがあります。

孤独は、極度な不安状態に陥ります。

もう誰も自分のことをみていない。

今、ここで死のうが誰も気づかない。

自分なんて、生きていても価値がない。

こんなに苦しいのに、誰も自分のことを心配もしてくれない。

世の中なんて、そんなもんだ。

こんな世の中になんて、未練はない。

 

自分の場合は、致知という月刊誌との出会いがこの局面をガラッと変えてくれました。

悲観しながらも、何かヒントを追い求めていた時でした。

一瞬にして、悲観していた自分を変えたのは、その出版社を紹介するWebサイトのバックナンバーの中に見つけました。

「大好きなお母さん」という題名で始まる、どこにでもあるような小学生の作文が新聞に掲載されていた話しです。

うろ覚えですがこんな内容でした。

 

「ぼくはお母さんが大好きです。

お母さんはいつも、ご飯をつくってくれます。

お母さんの腕はやわらかくて、とても気持ちいです。

お母さんは、いつも僕の帰りを待っていてくれます。

お母さんは、優しいです。

ぼくはそんなお母さんが大好きです。」

 

一家心中で亡くなった母子家庭、亡くなったその小学生の作文でした。

母親は、朝昼夜、一生懸命に働いていましたが生活を支え切ることができず、この世を悲観して一家心中を図ったそうでした。

しかし、子どもだけが亡くなり、その母親は一命をとりとめてしまったのです。

家宅捜索を行った刑事がその作文をみつけ、刑務所にいる母親の下にもっていったのだそうです。

自分の事で精一杯だった母親は作文を読んで、自分の犯した罪に気づきました。

謝りたくても息子はいない。

母親は気が狂ったように泣き叫んだそうです。

 

 

この一節に触れて、わけのわからない涙が止まりませんでした。 

と同時に、自分が悩んでいたことがちっぽけに感じ、前向きになっていきました。

世の中には、自分には想像のつかない壮絶な苦しみに直面している人々がいる。

これに気づけた時、自分が世界で一番、可哀想な悲劇のヒロイン(その時迄は本気で苦しい)から抜け出してしまいました。

 

またお金に苦しんでいる時、こんな出来事がありました。

高級住宅街のある最寄り駅で飛び込み営業をしていた時、消費者金融に出入りする高齢者を見ました。

当時の世の中は、高齢者のタンス預金を引き出させろ!さすれば景気回復に繋がる!!と政界・メディア総出で大合唱していた時代でした。だから

(おばあちゃん、おじいちゃんは、なぜお金を借りてるの?)

 と一瞬、理解できなかったのですが、すぐ気づきました。

(これが現実だ。政界・メディアが伝えている事が嘘だったんだ。)

 

年金生活者であろう、このおばあちゃん、おじいちゃん、一家心中の話は、仕事の意義を見出させました。

「この世の中は、嘘と欺瞞と正直者がバカをみる悲劇が起き続けている。

自分に起きている事など、それらに比べれば何ということでもない。

経済を豊かにしなければいけない、その為に仕事をしよう。 」

 

ビジョンはそういった『心を震わせる出来事』から創られていきました。

そうしてやがて、自分と向き合うようになっていきます。

なんでこんなことになったんだろう。

あんなこと、こんなこと、ほんとはこうすればよかったんじゃないか

と徐々に「自分の行為」を見直しはじめます。

 

この「見直す」ということは、人と対している時は難しいです。

ひとり、自分を見つめる時間は大切でした。

少しづつ、自らの非を認め受け容れると、心が穏やかになっていきます。

自分以外の何かに原因を求めてしまうと、永遠に解決しません。

解決しないのだから、余計にイライラするわけです。

 

自分自身がどうすべきだったのかに気づき、前向きに考えられるようになっていきます。

自分を見つめる時に大切なことは「自分はダメだ」と否定するのでなくこうしたらどうだろう、と想像することでした。

他に選べる選択肢があることに気づいていくこと、さらにヒントを得るために何かの情報を得たり、行動を起こすことが大切でした。

 

そうして動きだした転職活動の頃、救われる出来事が起こりました。

救ってくれたのは「憎き敵」だったはずの人でした。

転職しようと活動していた会社に伝手のあったその「憎き敵」は、聞かれたそうです。

「この子、どんな子?」

「あー!すごいいい子だよ!めちゃくちゃ頑張り屋さんだよ!」

彼のひと言は、私に起死回生のチャンスを与えました。

すんなりと希望する部署への配属が決まりました。

「めちゃくちゃ頑張りやさん」というレッテルを貼ってくれたおかげで初心に返り、死ぬ気で仕事をしました。

そこでまた「師匠」に出逢い、徹底的に仕事に打ち込むことになっていきます。

 

それまで、師匠と尊敬してきた人たちのほとんどはリクルートという会社の出身者でした。

「自ら機会を生み出し、その機会によって自らを変えよ。」

リクルートイズムといわれるこの創業者の言葉は、その会社を業界NO.1に押し上げていきました。

そのひとりひとり、誰もがパワフルなビジョンをもち、ロジカルに情熱をもって仕事に挑んでいました。

とても魅力的な人たちと仕事をすることができました。

 

それから5年後にあるきっかけがあり独立。

本当にがんばっていたことは必ず誰かが見ているものです。

中小~超大手企業まで、1000社ほどの経営陣と向き合い事業や組織を創ったり、営業強化するといったことをただただ真剣に一所懸命に、取り組んできました。

最初の頃は、どうやったらいいのか、という答えはありません。

幾度も、調べ考え仮説を立て実行、検証を繰り返し、ようやく独立できるほどのノウハウとキャリアを得ました。

これは今でも宝です。

 

しかし、その「憎き敵」だった彼の一言がなければ、そのチャンスはなかったのかもしれません。

そして、頑張りつづけた事実がなければその一言はなかったのかもしれません。

さらに、どんなに宝といえる能力があろうとも、商売する相手がいなければ、生きる糧は得られません。

 

決して奢らず高ぶらず。

今の自分にまで育ててくれた関わった仕事、への感謝。

その機会を与えてくれた誰か、への感謝。

自惚れた目を覚まされるような出来事、への感謝。

自分の魂は何を感じているか、心の声に耳を澄ませる。

今の自分には手の届かないビジョンを捉える。

学ぶ姿勢が生まれる。

この流れに乗れば、必ずチャンスは訪れます。

 

自分にはそんなに頑張った経験はない

というなら、まだその時期ではない、あるいは、気づいていないだけだと思います。 

気づくかどうかは、自分自身に正面から向き合っているかどうか。

自分自身に正面から向き合うということは本気になっている証し。

本気になれるかどうかは、自分の「心の衝動」に気づけたかどうか。

 

生きている限り、心は何かを感じとっています。

大事なのは、自暴自棄にならないこと、人のせいにしないこと、世の中を広く見つめ解決策を探る努力を怠らないこと。

 

夜明け前が一番暗い。

夜明け前、もうひと踏ん張りです。

  

早々